毎週、温泉ランキング「にっぽんの温泉100選」にランクインしている有名温泉地からの観光情報や、飲食、ワーケーション、体験といった情報を『温泉地 Trip+』と称して取り上げています。
今ならこう呼ばれたであろう”戦国セレブ”が楽しんだ温泉地をとりあげるスペシャル編です。
今回は西日本編として、北陸・東海以西のエリアです。
皆さんのおでかけのちょっとした参考になればと思っております。
- 岐阜|下呂温泉(にっぽんの温泉100選2021:2位)
- 大分|別府八湯(同3位)
- 兵庫|有馬温泉(同7位)
- 石川|和倉温泉(同10位)
- 岐阜|奥飛騨温泉郷(同18位)
- 静岡|熱海温泉(同20位)
- 長野|白骨温泉(同31位)
- 石川|山代温泉(同32位)
- 静岡|修善寺温泉(同37位)
- 長野|湯田中渋温泉郷(同45位)
- 熊本|山鹿・平山温泉(同64位)
- 長野|別所温泉(同82位)
- 山梨|西山温泉(同98位)
岐阜|下呂温泉(にっぽんの温泉100選2021:2位)
とろっとろの湯でお馴染みの下呂には、トップクラスの人気を誇るセレブも訪れていたようです。
武田信虎(1494-1574)
武田信玄(1521-1573)
昨日に続き今回も登場の温泉ラバーです。
織田信長(1534-1582)
居城だった岐阜城から下呂までは、それほどアップダウンのないルートみたいだったので、馬ならイージーだったかもしれませんね。
織田信長と下呂温泉との関わりは、「羽渕家家系図」という系譜に書かれていますが、天正6年(1578年)の春に飛騨をほぼ統治下に置いた信長は、下呂温泉に湯治に出掛けています。
-出典:『らくらく湯旅』
下呂ではどんなパーリィーが行われたんでしょうね。
大分|別府八湯(同3位)
キリシタン大名として有名なセレブも温泉好きだったようです。
大友宗麟(1530-1587)
戦国時代、豊後国(ぶんごのくに=現・大分県)の領主として名を馳せた、大友宗麟(おおともよししげ/おおともそうりん)が開いたという別府八湯のひとつ明礬温泉(みょうばんおんせん)。
-出典:『ニッポン旅マガジン』
別府八湯はこの明礬温泉、そして湯治で訪れていたといわれる浜脇温泉、それ以外に別府温泉、亀川温泉、観海寺温泉、堀田温泉、鉄輪温泉、柴石温泉があります。
兵庫|有馬温泉(同7位)
有馬とこの天下人のつながりは温泉好き戦国セレブの中でトップクラスの知名度かもしれませんね。
豊臣秀吉(1537-1598)
明智光秀の軍を打ち破り、また柴田勝家、織田信孝などを次々と破って天下統一の地固めにもどうやら目途がついた天正11(1583)年、秀吉は有馬を訪れ、長らく続いた戦で疲れた心身を天下に名高い有馬の名湯で癒そうとしたものか、これが記録に残る秀吉入湯の最初であります。
その後も秀吉は再三有馬を訪れており、有馬に対してさまざまな援助を行っています。
-出典:有馬温泉観光協会公式サイト
石川|和倉温泉(同10位)
豊富な塩分が含まれたお湯は、セレブの湯治には最適だったのかもしれません。
前田利長(1562-1614)
前田利家の息子に当たる二代目藩主「前田利長」は、腫物ができ困っていた折に、涌浦の湯(和倉温泉)を取り寄せて治療したと言われています。
-出典:『らくらく湯旅』
前田利長が実際に訪問した記事は見つかりませんでしたが、その後和倉を整備したのが、加賀藩3代藩主前田利常でした。
岐阜|奥飛騨温泉郷(同18位)
この人気セレブと温泉の出会い多すぎです笑
武田信玄(1521-1573)
信濃の国で上杉謙信とひどい戦いを続けていた武田信玄は、越中を手に入れようと考え、飛騨を攻め入ることにしました。
大将山県昌景は、沢山の軍勢を引き連れて峠越えをしようとしたのですが頂上を超えるころには皆疲れきっており、その上硫黄岳の毒霧が出て倒れるものが続出しました。
やっとのことで平湯あたりにたどり着いた時、老いた白猿が皆の前を歩いて道端の湯に導いてくれました。
-出典:平湯温泉観光協会公式サイト
平湯温泉の他、新平湯温泉、栃尾温泉、福地温泉、新穂高温泉、焼岳温泉で奥飛騨温泉郷は構成されています。
当時はお城から徒步で33時間。今なら新宿からバスで4時間半です。
静岡|熱海温泉(同20位)
熱海の温泉パワーでアゲアゲ!?
徳川家康(1543-1616)
特に熱海の温泉を愛した将軍として名高いのは徳川幕府初代将軍・徳川家康公です。
源頼朝を尊敬した家康は「自分もいつかは天下を統一したい」と、頼朝が学び、頼りにしていた伊豆権現(現在の伊豆山神社)の再興に寄与しました。
「徳川家康は、関が原の合戦前に熱海に入湯し、その温泉パワーをもらって天下統一を成し遂げた」とも言われています。
-出典:熱海市公式サイト
忙しいセレブなのに7日間も熱海に滞在したそうです。
滞在した本陣跡に、日帰り入浴施設「日航亭・大湯」があります。
長野|白骨温泉(同31位)
武田信玄(1521-1573)
武田信玄によって乗鞍岳のふもとに銀山が開発されて、負傷した兵士や鉱山の炭鉱夫たちを癒す「隠し湯」として愛用したともいいます。
-出典:白骨温泉観光案内所公式サイト
Google Mapのルートだと上高地を通ります。
当時はどんなルートだったんでしょうか。
信玄の隠し湯を訪れる、温泉巡り旅なんて人気になりそうです。
石川|山代温泉(同32位)
悲劇のセレブも温泉好きだったようです。
明智光秀(1528-1582)
戦国時代には「明智光秀」が、戦で負った傷を癒すために10日間に亘り山代温泉に滞在。
-出典:『刀剣ワールド』
明智光秀が山代に滞在したのは1565年のことのようです。
本能寺の変はその17年後…
静岡|修善寺温泉(同37位)
伊豆のキングはもちろん温泉を楽しんだことでしょう。
北条早雲(1456-1519)
早雲は地味に暗躍するタイプの戦国武将で、伊豆修善寺温泉に宿泊すると見せかけて、スパイを送りつつ興国寺城の部下らを率いて堀越公方を滅ぼし、伊豆一円を支配してしまいました。
-出典:東洋経済オンライン
今なら文○砲を浴びそうです笑
その後ゲットした小田原城は、修善寺からの距離が興国寺城よりちょっと遠くなりました。
距離だけでなくアップダウンも増えています。
長野|湯田中渋温泉郷(同45位)
この温泉郷の中の渋温泉が「武田信玄の隠し湯」の一つとされるところ。
※湯田中渋温泉郷は、この他に湯田中温泉、地獄谷温泉、上林温泉、安代温泉、新湯田中温泉、星川温泉、穂波温泉、角間温泉で構成されています。
武田信玄(1521-1573)
真田昌幸(1547-1611)
傷ついた兵士を癒したことから「信玄の隠し湯」としても知られ、実際信玄は、第4次川中島合戦の一カ月後に湯に浸かって激戦の疲れを癒しています。
境内には薬湯信玄竃風呂がありますが、残念ながら現在無期休業中です。
-出典:トラベルjp
熊本|山鹿・平山温泉(同64位)
戦や築城スキルに秀でたセレブも温泉へ湯治に出かけたようです。
加藤清正(1562-1611)
この辺りの温泉では珍しく硫黄分が入っているので、加藤清正公も汗疹を治しに通ったと伝えられています。
-出典:平山温泉観光協会公式サイト
しゅっとした顔で、身長は190cmあったとか。
デルモ系のセレブですね。
九州の温泉ランキング動画にも、山鹿・平山温泉、加藤清正が登場します。
長野|別所温泉(同82位)
ついに超人気セレブが父と兄についで登場。
”日本一の兵(ひのもといちのつわもの)”には珍しい逸話が、ここで生まれたようです。
真田幸村(1567-1615)
石湯は、真田幸村とお江という女性が結ばれる舞台となった温泉で、別所温泉の中央通りに面したところにある。
-出典:『Biglobe旅行』ブログ
石湯は温泉街のメインストリートにあります。
以前訪れた時、温泉街で真田の「六文銭」にちなんだおいしいお蕎麦をいただきました。
出会いの舞台となった石湯以外にも、大師湯、大湯と外湯巡りを楽しめます。
大湯は木曽義仲(1154-1184)にゆかりのある温泉としても有名です。
山梨|西山温泉(同98位)
ギネスブックに認定されている世界最古の宿泊施設には、人気セレブがこぞって訪れていたようです。
武田信玄(1521-1573)
穴山梅雪(1541-1582)
天文年間には甲斐国主武田信玄公が、天正年間には武田二十四将のひとり、穴山梅雪が幾度か湯を求めに訪れ、当館の守護神湯王大権現に「銅羅」を奉納されています。
これは家宝として代々慶雲館の当主に受け継がれております。
-出典:慶雲館公式サイト
下山城のあった見延町は紙幣に描かれていてお馴染みの「逆さ富士」が撮影されたところ。
西山温泉のある早川町は自然人口が日本一少ない町として有名です。
徳川家康(1543-1616)
日本統一のさなか、徳川家康公も二度にわたり入湯されたと伝えられております。
-出典:慶雲館公式サイト
慶雲館の目の前にはこちらも有名な蓬莱館があります。
西日本編はいかがでしたでしょうか。
当時と令和の大きな違い、それは日帰りができるか否か、そしてさまざまなご当地グルメを楽しむことができるようになったことですね。
おでかけの際は最新情報をお確かめください。
西日本エリアの温泉動画をYouTubeにアップしています。
お時間がございましたらご参考にどうぞ。